梅が枝荘

梅ヶ枝荘

江戸時代、大村藩の台所番として仕えていた先代が、明治14年の廃藩置県を機に玖島城内に〈料亭・梅ヶ枝荘〉を創業。 玖島城跡の大村公園は花の名所として知られており、日本さくら名所100選・日本の歴史公園100選の1つ。 春にはソメイヨシノや国の天然記念物のオオムラザクラ、ハナショウブ、ツツジなどが咲きます。 四月の桜、六月の花菖蒲の季節には花見茶屋としておもてなししております。 大村藩の居城であった玖島城の本丸跡には大村神社が鎮座します。 大村神社の境内、階段を登った途中にあるのが「梅ヶ枝荘」です。

大村伝統の祝い寿し

文明六年(約五〇〇年前)大村藩主大村純伊は島原の有馬、諫早の西郷勢等と萱瀬村の中岳において戦い、この連合軍に敗れ唐津の沖合にある加々良(加唐)島に逃れました。

しかし潜居七年の後、渋江公勢らの援軍を得て戦勝し大村領を奪回しました。

大村の領民は大いに喜んで、これを迎えました。度重なる戦いに腹をすかした将兵たちをもてなすことになったのですが、 食器などの用意もなく、とりあえずもろぶた(木製の長方形の浅い箱)に炊きたてのご飯の上にかんぴょう、ごぼう、しいたけ、 魚の切身などをひろげ、領主をはじめ将兵の食前に供しました。

将兵たちは脇差しでこれを適当に切って食べたことから、これが玖島城大村ずしの起源となりました。

以来、大村ではこの「大村寿し」がお祝いの席では欠かせない郷土料理となりました。 各家庭によって具材が工夫され、現在も多くの人に愛され続けています。

玖島城(大村城)

玖島城は270余年にもわたる大村氏の居城として知られています。江戸時代には大村藩の藩庁として使われ、明治維新まで存続しました。1614年(慶長19年)には2代藩主・大村純頼によって拡張・改修されますが、この際に加藤清正による指導を受けたとされ、美しい扇の勾配をもつ石垣が見られます。現在は大村公園となっており、天然記念物のオオムラザクラや菖蒲など季節折々の花が咲き、日本さくら名所100選にも選ばれています。また本丸跡は大村神社の境内となっており、築城者である大村喜前の遺徳碑や最後の藩主となった大村純熈の像があります。遺構としては石垣が現存し、1992年(平成4年)には板敷櫓が再建されています。城下町では武家屋敷跡や五色塀などを見ることができます。

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基本情報
名称 梅が枝荘
郵便番号 856-0834
住所 長崎県大村市玖島1丁目36
Tel 0957-52-3523・0120-521-389
Fax 0957-52-1389

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