アシアト【竹野鮮魚】

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アシアト

― Short Story ―

走ったり、迷ったり、ちょっと寄り道してみたり。
あの人この人の歩んできたアシアトをたどるお話。

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鮮魚主婦   :松田 充佐子

「ミサねえ、久しぶり~!」
そんなフランクな会話が飛び交う食堂はいつも笑顔であふれている。
まかないランチに海鮮ケーキ!ここは本当に魚屋さん?
ちょっと変わったサービスで賑わいが絶えない魚屋さん。
温かくてどこか懐かしい思いを感じさせてくれるお魚屋さんを営むのは三代目女将 ミサねえこと 松田充佐子さん。
様々なサービスを生み出した三代目女将ミサさんのアシアト。

生まれ育った島原…時々大阪。

生まれ育ったのは島原。
両親とは離れて暮らしていた。
育ててくれたのは島原にいる母方のじいちゃんとばあちゃん。
小学校の暮らしは大阪と島原を行ったり来たりして過ごした。
大阪には母がいて、時々会いに行っていた。
島原で家族そろって住むことになったのは小学校5年生の時だった。

”タケノ”ばあちゃん。

子どもの頃を思い出すといつもそこにはタケノばあちゃんがいる。とても可愛がってくれた。
食卓に並ぶ新鮮な魚は毎日じいちゃんが釣ってきた。
このしろの酢漬け、がんばのがねだき、手作りのあおさのり・・・懐かしいタケノばあちゃんの味。
タケノばあちゃんはリアカーで魚を売って歩いていた。
竹野鮮魚店の始まりはここにある。
タケノばあちゃんの後をついて歩いた幼少期。

お父さんがやってきた。

暮らしに大きな変化が訪れたのは小学1年生の時。
母が一人の男の人を連れてきた。
「お父さんよ。」
「・・・」
ー そっかぁ、”おとうさん”って1年生になるとやって来るんだ。

厳しい父

父はとにかく厳しい人だった。
小学校5年生の時、島原で暮らすことが決まり、それと同時にタケノばあちゃんがやっていた魚屋を父が継ぐことになった。
”子どもが家のことを手伝うのは当たり前。”
学校から帰ってきた後も休みの日も、毎日お店に出ていた。
バブルの時代、お店は繁盛しその忙しさは自由な時間を奪っていった。

364日長靴。

高校生になった頃、諫早に移ってきた。
生活は変わっていない。
元旦以外休みの日はお店の手伝い。
年頃になった女の子が履くのは長靴。
始発のバスで島原の高校に向かい、最終バスで諫早に戻る。
この時間だけは自由で楽しかった。
”おなごに学問は必要なか”
…父の言葉は絶対だった。
大学進学はあきらめた。
家を手伝う事は当たり前。
やるしかない。しょうがない。

憧れの”普通の暮らし”。

ずっと心に思い描いてきた”普通の暮らし”。
親への思い、一人娘としてやるべきこと…色んなことを考えた。 —でも…自由になりたい、私の人生を歩みたい。
その思いは押さえられなかった。
26歳の時、ついに家を出た。
初めての一人暮らし。新しい仕事。
そこで運命の出会いがあった。
一緒に人生を歩む人。私を認めてくれる人。
二人で歩む人生のスタートは憧れの”専業主婦”だった。
子どもが生まれ家族で過ごす平凡な日々。
自分が子どもの頃に手に出来なかった時間がただゆっくりと流れていった。

”焼き肉屋”

長男が小学生の頃、父から話があると言われた。
「ここで働けばいい。」
父は、”焼き肉屋”を建てた。
建物も従業員も全て父が用意していた。
その準備金は全てこちらが返済していかなければいけない。
娘の意見を聞こうなどという考えは父には毛頭ないらしい。
夫の実家は肉屋だった。
肉屋を選んだのは父なりの思いやりだったのかもしれない。
借金を返さないと…まだ小さい次男を背中におぶってひたすらに働いた。
経営者の勉強会にも足繁く通った。
”うまくやらなきゃ”
初めてのことばかりで必死だった。
…しかし歯車は少しずつかみ合わなくなっていった。
従業員との衝突、次第に離れていく距離をうめることは出来なかった。

もういい。

「ここにおったっちゃ10年後どうなるか分からん。」
突然去っていった従業員。家族のように思っていた。悔しい…切ない…色んな思いから涙が止まらなかった。
7年、焼き肉屋を頑張った。
「もういいかな。」
借金を返し終わり、焼き肉屋の暖簾を下した。

父の病気

父が倒れた。
病床の父はいつにもなく弱弱しく、厳しかった父は日に日に影を潜めていった。
学童保育の指導員、テレフォンオペレーター、工場の作業員…焼き肉屋を閉めて色んな仕事をした。
父と向き合う時間はなかった。
家族の真ん中で凛としていた父の姿はもうない。
一人娘だから、いつかこんな日がくると思っていたが、まだずっと先の遠い日だと思っていた。
父の看病と母の介護…
「これからどうしよう。」

おなごができるもんや

収入を途絶えさせる訳にはいかない。
右も左も分からないゼロからのスタート。
「おなごができるもんや。」
職人、板前、魚市で働く人々の中には、築き上げられた男社会に女が入ってくることを良く思わない人もいた。

“でもやるしかない!やるなら楽しもう。”

心の中で何かがストンと落ちた。

この場所を楽しい場所に。

主婦の知恵、子育ての大変さ、働くということ。
―これまでの経験の中で商いに通じるものは数多くあった。
面白ポップに海鮮ケーキ、次から次に新しいアイディアが形になっていく。
残った魚で食べるまかないランチ…こんなに美味しいもの、自分たちだけじゃもったいない!みんなに食べてもらいたい!
そこから始まったお魚屋さんの食堂。
手作りの小さなテーブルと“お互い様だから”と頂いた食器で始めた竹野鮮魚店の食堂。
少しずつ人が集う賑やかな場所に変わっていった。

求めていた場所

「あぁ、こんな場所が作りたかったんだ」

歩いてきた道を振り返り、今いる場所を見つめ直すとこんな思いがこみ上げてくる。
先のことを考えるより、とにかく今を一所懸命に生きてきた。
こうあるべきではなく、何でもやってみようとやってきた。
今、ここにはたくさんの人が来てくれる。
人と人がつながる場所。
一人一人の思いが集う場所。

竹野鮮魚は今日もたくさんの人たちの笑顔であふれている。

名称 有限会社 竹野商事
郵便番号 854-0071
住所 長崎県 諫早市永昌東町3-13グランコート諌早駅前
Tel 0957-23-1795
voiceサイト 竹野鮮魚