幼少期から割烹「多な可」の一員として育ち、飲食店の忙しさを目にしてきた私にとって、店を継ぎたいという気持ちは薄かったというのが本音です。例えば、朝早くから仕入れのために買い出しへ出かけ、昼には仕込みに入り、日が沈むころにお店が開店、お客様の明るい歓声が響く店内で、その声に応えるために休むことのない厨房。営業時間が終わったのも束の間、次の日の仕込みに追われ、また朝早くから仕入れに出かける。昼夜問わず仕事をする日々を送る父を目の当たりにし、「飲食業はつらいものだ」とばかり思っていました。幼いころから生活の一部であったお店が大好きという気持ちもありましたが、自分が果たして父のようにやれるだろうかと考えたとき、迷う気持ちの方が強かったのです。
しかし、そんな私の思いを知ってか知らずか、20年ほど前、父が突然の引退宣言を行いました。「1ヶ月後に引退する。やるんだったら自分でやれ」、そうと告げられた私は、気持ちを整理する間もなく割烹「多な可」継ぐことになりました。
店を継ぐかどうか迷っていた私にとって、半ば強制的であった2代目店主への道。その機会を与えてくれた父の引退宣言は、頑固ながらも心の奥底にある愛情深さだったのかなと、今では思います。
先代である父は、とにかく頑固でした。例えば、お店で出す料理を教える際、手取り足取り教えてくれるというよりも、「目で見て覚えろ」というタイプ。最初のころは怖いという存在でしたが、料理に向き合うときの真剣な眼差しや、常にお客様のことを考えて腕を振るう姿を間近で見ていると、次第に「かっこいい」と憧れを抱くようになりました。
そんな父から教わったことの一つが、料理を通して「感動」を伝えるということ。美味しさはもちろんのこと、盛り付け一つにも妥協をせず、見た目の華やかさも大切にするということです。
例えば、お皿の上で季節を感じられるように、四季折々の植物を添えてみたり、料理の色合いや種類によって盛り付ける器も使い分けています。
料理を通して、常にお客様に驚きと感動を与えられるよう工夫しています。
それは、私が先代から受け継いだ、割烹「多な可」の信念なのです。